発達障害に関連する言葉として、『発達凸凹(デコボコ)』という言葉があります。
この『発達凸凹』という言葉は、「障害」という言葉を使わないことで表現として柔らかくなるというメリットもありますが、それよりも『その子の特性を理解する』際にとても有用な考え方であると感じています。
発達凸凹とは
著名な先生の説明をお借りすると、
「発達凸凹とは、認知(知覚・理解・記憶・推論・問題解決などの知的活動)の能力の高い部分と低い部分の差が大きい人のこと」であり、発達凸凹に適応障害が加わると発達障害になる(『発達障害のいま』杉山登志郎、講談社、2011)
ということだそうです。
この杉山先生による説明には、次の2つの大切なことが含まれていると思います。
(1)発達凸凹とは、認知の能力の高い部分と低い部分の差が大きい人のこと
定型発達のお子さんの場合は、杉山先生の仰るところの認知能力は年齢が上がるとともに年齢相応にまんべんなく発達していきます。
しかし、発達凸凹のお子さんの達は、それぞれの認知能力の発達のスピードの差が大きく、能力の高い所と低い所ができます。
「能力の高い所と低い所がある」ということを、知能検査についての所見を書く際などには『能力の個人内差が大きい』と表現したりしますが、この『能力の個人内差が大きい』という考え方はその人の特性を理解し、適切な支援をする上ではとても重要になります。
『能力の個人内差が大きい』ということは、ゲームのキャラクターを示すグラフのような表現をすると、キャラクター『B』のグラフのような感じです。
キャラクターAのグラフもキャラクターBのグラフも、それぞれの項目の合計点数は25点です。
キャラクターAのグラフはオールラウンダーな戦士をイメージしてみました。
反対にキャラクターBのグラフは高い得点の項目と低い得点の項目の差が大きく、「能力間の個人内差が大きい」キャラクターと言えます。
キャラクターBのグラフは魔法使いのようなキャラをイメージしてみました。
攻撃力が低いと思って油断していたらものすごく強い魔法が使えてやられてしまったりしますよね。
『能力の個人内差が大きい』と、その人を「だいたいこんな感じの人」と捉えにくくなります。
上の例の魔法使いが、「そんなにすごい魔法が使えるんだから、パンチでもこのくらい強いモンスターを倒せるよね?」とお願いされても困ってしまいますよね。
同じように、能力の個人内差が大きい人は、「それだけ上手に話せるなら、このくらいの作業もできるよね?」や「こんなに難しい作業ができるなら、このくらいの質問にも答えられるよね?」と、ある部分の能力の高さから全体的な能力を誤って予測されてしまい、結果的に能力以上の要求をされてしまうことになったりします。
ここまでの記事で、『発達障害』『スペクトラム』という言葉を扱った際には、『括って捉えるのではなく、その子を捉える。』ということの大切さについて説明させていただきました。
そして『発達凸凹』という言葉からは、『その人を捉える際には、その人はどの部分の能力が高くて、反対にどの部分の能力が低いのか?』を捉えることが大切であるということが分かると思います。
余談ですが、その点ではIQからそのお子さんを理解するということも危険が伴います。
IQは、見ようとしている所が違う色々な課題をやってもらった時の総合的なクオリティを数字で表現しているものです。
したがって、「能力の個人内差が大きい」タイプのお子さんには、IQの数値からかけ離れた水準の能力の分野がある可能性があるので、全体的な能力を示しているIQに捉われることなく、「IQを構成するそれぞれの能力はどうなんだ?」という考え方をすることが必要になります。
(2)発達凸凹に適応障害が加わると発達障害になる
この説明は、
発達凸凹+社会適応の難しさ=発達障害
ということです。
「発達凸凹に社会適応の難しさが加わった時に発達障害になる」ということは、
「社会適応の難しさがない発達凸凹は障害ではない」、
つまり、「能力の高い所と低い所があっても自他ともに困っていなければ障害とは言えない」、
もっと言ってしまうと、「困る訳ではない能力の高い所と低い所はその人の良い面にもなりうる」ということです。
これは魔法使いの例を見てもそうですよね。
強い防具を買うなどして、ある程度の敵の攻撃に耐えられる守備力になるように配慮してあげれば、魔力の高い魔法使いは立派な戦力になります。
このように、自他ともに困らなくなるような配慮をすれば、苦手を補う・苦手に目を瞑るといったことをしながら得意な部分で勝負をするということが可能であると思います。
例えば、人付き合いの苦手さはあるけど、記憶力の良さを活かして一人黙々と研究に取り組む研究者になるということもあるでしょう。
また、読み書きは苦手だけど、感覚の繊細さを活かして芸術家になる場合もあるでしょう。
社会適応を難しくさせないために必要なのは、やはり特性の理解
ここで重要なのは、やはり特性の理解をして苦手な部分をどう配慮するかです。
魔法使いに剣を持たせて戦わせても、勝てる見込みはないでしょう。
良い面を発揮するためにも、そのための配慮が必要で、そのためにはその人の特性を理解することが不可欠です。
そのため、私が仕事で親御さんにお子さんの特徴をお伝えする際にも、全体的にではなく、そのお子さんのそれぞれの能力をお伝えすることにはとても力を入れています。
親御さんにお子さんのそれぞれの能力に合った対応をしていただくことは、お子さんの生活のしやすさに直結しているからです。
親御さんと良好な関係を築くことができていれば、「お子さんの〇〇をする能力は〇歳レベルです」ぐらいハッキリお伝えすることもあります。
ハッキリお伝えすることで大きなショックを受けてしまう親御さんもいますので、説明させていただく際には慎重に表現方法を選んでいるつもりですが、『特性の理解が適切な対応への第1歩』ということで、わかりやすさ重視というスタンスで説明させていただいています。
やはりここでも、『特性の正確な理解が適切な対応への第1歩』です。
『発達凸凹』という言葉は、「能力の個人内差が大きいお子さんに対しては、社会適応を難しくさせないためにも、より細かくそのお子さんの能力を把握する必要がある。」ということを教えてくれているのではないでしょうか。